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AHAの歴史

発足当初

医師とソーシャルワーカーからなる先駆的なグループが1915年,ニューヨークにAssociation for the Prevention and Relief of Heart Disease(心疾患予防緩和協会)を設立したのが始まりです。彼らは心臓病の情報が不足していることを憂慮していました。当時心臓病は死の病と考えられ,ベッドで絶対安静を余儀なくされていました。そこでこのグループの医師らはニューヨークとボストンで調査を実施し,心臓病の患者が安全に仕事に復帰できるかどうかを調べました。1920年代にはボストン,フィラデルフィア,シカゴの同様なグループが心臓協会へと発展しました。

関心は米国およびカナダの他の都市へと広く拡大しました。研究成果の共有および新たな研究の促進を目的とする国内統一組織の必要性を認めた心臓病専門医6名が,複数のグループを代表して1924年にアメリカ心臓協会(AHA)を設立しました。創設メンバーはニューヨークのLewis A. ConnerおよびRobert H. Halsey,ボストンのPaul D. White,フィラデルフィアのJoseph Sailer,シカゴのRobert B. Preble,セントルイスのHugh D. McCullochの各医師です。初期計画の策定にはシカゴのJames B. Herrick医師とボルチモアのWilliam S. Thayer医師も協力しました。1941年当時AHAの会長であったWhite医師はかつて,その頃は心臓病について「ほとんど信じられないほど無知」な時代だったと表現しました。AHAはこの無知を打開しようと,まず数百人の医師や科学者に協力を求め,その後その人数を数千人規模へと拡大していきました。

AHAメンバーは,1930年代後半になる頃までに自分たちの活動を一般人にまで広げる方策を考え始めていました。1946年,米国在郷軍人会はリウマチ熱コミュニティプログラムの研究と開発のために5万ドルをAHAに寄付しました。このプログラムを含む各種プログラムは公的支援と公的資金によって設けられました。AHAは1948年,その活動範囲を広げるために組織の再編成を行い,事業経営,情報伝達,公教育,コミュニティの組織化および資金調達の手腕を持つボランティアを医療以外の分野から迎え入れました。

AHAが一般に知られるようになったのは,1948年後半,Ralph Edwardsが司会を務めるラジオ番組「Truth or Consequences」の名前当てコーナー,「The Walking Man」がきっかけです。数百万人の米国人がその名前当てを通じてAHAに寄付したのです。「The Walking Man」,すなわち通行人がJack Benny(訳注:1930~50年代に米国で人気を博したコメディアン)と判明するまでに集まった寄付は175万ドルに上りました。

そこで,ニューヨークの少人数スタッフで国内活動全般を行っていたAHAは全米各地に支部を組織し始めました。1949年2月にはそれらの支部が最初の全国的な資金調達キャンペーンを開始し,総額270万ドルを集めました。

AHAの成長

1949年以降,AHAは規模,財源,医療および非医療分野のボランティア参加,および影響力の点で国内的にも国際的にも急速な成長を遂げました。AHAは全国の関係団体および地方支部によりよいサービスを提供するために1975年,ナショナルセンターをニューヨークからダラスに移しました。ボランティア主導の関係団体およびその支部はAHA地方組織からなる国内ネットワークを形成し,研究プログラム,教育プログラムおよびコミュニティプログラムの提供と協会の活動を支える資金の調達に取り組んでいます。このネットワークは草の根レベルで広がり,今も成長し続けています。

AHAは1980~1986年にかけて大きな内部変革を遂げ,一般の人々に対してより大きく,より明確なメッセージを届けることができるようになりました。そしてAHAは次の8年間で公衆衛生の推進役としてさらに存在感を高めるようになりました。また国の医療システムについて各種ガイドラインを作成し,医療アクセスの向上を図る連邦政府の試みを支持しました。

それと同時にAHAは,内部プログラムと内部経営の継続的な強化を続けました。協会の使命ステートメントを改め,心血管科学研究プログラム,心血管教育プログラムおよびコミュニティプログラムの3分野の設計,ならびに資金調達活動に全力を注ぎました。そうした活動が研究基準の厳格化,新しい医療施設モジュール,およびいくつかの新しいマニュアルの開発として結実しました。多額の寄付のおかげで,AHAは新しい研究プロジェクトを支援し,科学スタッフ全員を一つの建物に集め,創意工夫に富む専門教育プログラムを主催することが可能になりました。指導的地位につく女性やマイノリティーを増やすという努力は1980年代後半までに効果をもたらし始め,心臓病および脳卒中が女性およびマイノリティーに及ぼす影響を解明する研究が増えました。

1990年代中期はAHAにおける大きな転換期でした。協会の科学的知見は研究所やクリニックから以前にも増して素早く診療室や国内の家庭に届き始めました。AHAは重要な問題について立場を明らかにし,危険因子の管理について明確で簡潔なステートメントを出しました。ボランティアおよびスタッフは関連団体の研究プログラムを改善するための戦略で合意し,国レベルの組織は脳卒中および緊急心臓治療を扱う新たな部署を設けました。コストの削減と国際的な情報循環の強化を目指して学術雑誌の発行を外部に委託し,それらのオンライン発表を開始しました。

AHAは,タバコ業界からの強力な抵抗にもかかわらず,一般米国民,特に子供の擁護者であり続けています。

最後に,そして最も重要なこととして,AHAのボランティアおよびスタッフは21世紀に見合う力強い事業体への組織変換を開始しました。この変化は1948年にAHAが学術団体からボランティア健康機関に転換して以来の大規模なものでした。その第一歩は,1995年3月に組織の戦略的原動力を 「心臓病と脳卒中の効果的な予防と治療のために信頼できる情報を提供する」と定めたところにあります。

この原動力の合意は,ナショナルセンターの第一の情報発信先がAHA関連団体ではなく,一人ひとりの米国人であることを明確にしました。この新しい原動力は組織全体を変え,1997年6月の法人化決定にその変化が見て取れます。この動きは人々を活動に向かわせる協力の精神を強化しました。

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